インプットとアウトプット
学生時代、人ぞれぞれノートの取り方が違った記憶である。
例えば、授業の中で板書の情報を全て書きあとで見返せるように、レイアウトまでこだわる者もいれば
メモ書き程度に書き、書きながら覚える者もいる、
このようにインプットとアウトプットを別個で分けるタイプと一度に行い一切ノートを見返さないタイプのもの
両者は極端な例ではあるが、要はワーキングメモリの違いからから、学習の違いが出るのではないだろうか。
筆者は、どちらかというと効率重視なのでその場で書きながら覚え、あとで見返すことは一切ないタイプの人間であった。
理由はシンプルで、面倒臭いからである。そして何より勉強そのものが嫌いだったのだ。
行動か机上論が先か|学習者の知恵
時に勉強しても、急に結果や成果が出なくなる現象が起こることがある。
学問というやつは、帰納法である以上、ビックバンから今に至るまで、その順を遡り分析することであり、その域を出ること決してない。
独学やスキルのマネタイズ行うなかで、ふと今何が必要なのか。わからなくなる時がある。
インプットなのかアウトプットなのか。
本屋に行き、関連する商品棚の前で立ち読みをしてみるが、腑におちずそのまま帰ることが多くある。
よくよく考えてみると、その現象というのは知識の吸収が必要なのではなく、いかにマネタイズをするかという行動(アウトプット)が必要。
その段階なのではないだろうか。という結論に至る筆者である。
筆者的には、このような上記の理屈や体験からも、何においても行動が先立つものである。と結論づけたわけである。
分析も何も行動によって得られるサンプルがなければ、その分析対象もないわけである。
実際に、何が足りないのだろうとクヨクヨデスクの前で考えていたよりも、とりあえず本屋に行ってみよう
その行動が次のビジョンや行動指針を与えてくれるものであったと思うのである。
だから、煮詰まったら「外に出よう」「いつもとは違う突拍子もないことをしてみよう」そして何より「人と会って話をしてみよう」
結論としては、ある程度基本(インプット)を覚えたら、ひたすら行動(アウトプット)することであると考える。
「知識は点であり、知恵はその動線である」そして、動線を生むのは「行動」である。
頭脳とは実体験に基づいたものを体系化するのが役割であり、行動により得られる体験とは本質的にその土俵が異なるものであると考える
その点が有機的に結びつき、初めて知恵が生まれる。その結びつきとは行動であるはずだ。
ペーパーテストでの満点に意味を感じなかったのは、その点がどのように結びつくか知らなかったからであろう。
まさか、こんなに勉強が素晴らしく楽しいものだとは思わなかったと大人になって気づく筆者である
まとめ
学習のトリガーとは、行動である。
何かに行き詰まったら、外に出てみる。
いつもと違うことをしてみる。
人と会って話をしてみる。